横浜家
今年の大河ドラマは「豊臣兄弟」とのことで、ネット上では秀吉の弟・秀長の記事が増え、秀長に関する書籍も出版されている。 藩祖・高虎の家臣には、かつて秀長に仕えた者達やその子孫が幾人か存在し、高虎が大和豊臣家の重臣だったときに縁を持った様である。 内、横浜家を見てみる。 横浜氏は、藤堂家臣の横浜家系図に拠れば近江国高島郡本荘村横江浜の出身である。豊臣秀長の家臣として横浜一庵、横浜民部少輔茂勝が知られているが、二人は兄弟で、豊臣秀長に仕えた。 一庵の諱は不明、茂勝は「額安寺古文書」に含まれている「横浜民部書状」にあるから正しいと思われるが、「半井家先祖書」には正勝、藤堂藩士・横浜家の系図には正行とあって一致しない。 「半井家先祖書」は一庵と茂勝を同一人物としていて信用できないが、藤堂家臣の横浜家は一族皆、代々諱に「正」を使っている処を見ると、改名したのかもしれない。 一庵は、文禄5年閏7月の伏見大地震の際に横死。茂勝は、秀吉に仕えて播磨国の内で一万七千石を領したが、慶長五年の関ケ原戦で西軍に属したため、改易された。その後の行方は分からないも


茨木理兵衛重謙
「茨鬼-悪名奉行 茨木理兵衛」が気になっていたので、遅まきながら読んでみた。藤堂藩で寛政8年に実際に起こった一揆を題材に、藩政改革を主導した茨木理兵衛重謙(しげかね)を主人公として、当時の状況を著者が小説化されたものである。 一般論を述べるだけで何らの具体案を示さない藩の重臣達、調査データを元に論理的に計画を立てるが周囲の共感を得られない重謙、重謙に改革を一任するも彼の施策を強力に後押しできない藩主・藤堂高嶷等のもどかしい関係性が上手く表現されていたと思う。 茨木理兵衛重謙が主導した農政改革は寛政八年に大一揆を引き起こして失敗するが、小説としては、そこまでの間にやや中だるみの感があった。尤も、一揆に至るまでの経緯を述べないといけないので、これは致し方ない。 途中、私の先祖も登場し、その間抜けな発言から、理兵衛の義兄である奥田清十郎が、「取っ組み合いになって大喧嘩した」と述べているのに失笑してしまった。 個人的には第11章、一揆の発生により十五年後、重謙が幕臣・太田七左衛門に、述懐を述べる場面に共感を覚えた。 さて、この小説にある通り


亀甲縞大売り出し! 杉立治平の知略
講談で「亀甲縞」「亀甲縞治兵衛」「藤堂家の名物男」などと語られている話がある。藤堂家の財政難が、一家臣の機転で救われたという痛快な話だが、主人公・杉立治兵衛は実在の人物である。
嘉永四年 剣術御前試合?
天保十二年、水野忠邦が謹倹と共に武事の奨励を行って他流試合の禁を解いたので、武者修行の再興が起こり、各藩においても試合稽古や剣術者の集会が頻りに行われるに至った。 嘉永四年五月十九日、江戸の藤堂邸(柳原屋敷?)においても、試合が行われた。その主要な人たちは、次のとおりで当時...
明治維新後の剣術衰退とその復興
明治維新以後、古来から伝わる剣術は、廃刀令が出るに及んでほとんど廃滅の一途を辿った。しかしながら、明治9年12月に発生した伊勢暴動に士族を徴募せざるを得なかったことや、翌10年に勃発した西南の役において抜刀隊が活躍したことによって、廃れていた剣術や日本刀の価値が、再認識され...
高虎の息子?娘?
三重県史掲載、旧藤堂家所蔵の「藤堂家譜」では、高虎の実子と義子は以下のとおりであるが、藩内外の史料を見ると、異同がある。 【実子 母は松寿院(長氏) 】 高次 二代藩主 高重 寛永八年二十六歳で死去。子孫なし。 女子 蒲生下野守忠郷室 後、一身田門主尭朝室...


八尾 常光寺
以前から、大坂夏の陣で戦死した藤堂家臣が葬られた常光寺行きたいと思っていたのだが、 今回7年ぶりに大坂へ行く用事があり、時間を無理やり調整して赴いた。 境内に入って見まわしてもそれらしき墓碑がなかったので、お寺の方にお声がけした...
高虎の従兄弟は明智三羽烏?
2020年の大河ドラマは明智光秀だそうで、そういえばと思い出した。 明智三羽烏とされる箕浦大蔵忠重は、津藩祖・藤堂高虎の従兄弟なのである。
居相家 居相孫作政貞
高虎に最も初期から仕えた者の一人に、居相孫作政貞がいる。居相氏は但馬国人。 高虎と、この政貞を主人公とするエピソードは、「出世の白餅」として講談、浪曲になり、 遂には映画化もされた。 [昭和14年3月公開 主演:高虎=大谷日出夫、落合孫作(居相の誤り)=尾上栄五郎]...
栃尾家
但馬国の土豪で高虎とその正室・久芳院の媒酌人でもある栃尾源左衛門祐善の子孫。玄孫の栃尾源左衛門善寅が、津藩に仕えて栄進し、同家は古市加判奉行、槍奉行、鉄砲頭などを務めた。