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嘉永四年 剣術御前試合?

 天保十二年、水野忠邦が謹倹と共に武事の奨励を行って他流試合の禁を解いたので、武者修行の再興が起こり、各藩においても試合稽古や剣術者の集会が頻りに行われるに至った。


 嘉永四年五月十九日、江戸の藤堂邸(柳原屋敷?)においても、試合が行われた。その主要な人たちは、次のとおりで当時としては皆、一流の剣士達であった。


北辰一刀流 千紫榮次郎 十九歳 直心影流 天野將曹

鏡新明智流 桃井春蔵 二十七歳 大石神陰流 大石 進 五十六歳

神道無念流 野原正一郎 直心影流 島田虎之助 三十八歳

関 繁馬 直心影流 阿部右源次 三十三歳

神道無念流 齋藤新太郎 廿四歳 神陰流 武藤爲吉 三十二歳


 なお翌年の嘉永五年、藤堂家は槍術家の間 角弥(秋筑前秋月藩士)に藩士への指導の礼として銀五十両を、齋藤弥九郎と千葉周作に対して、その子の齋藤新太郎と千葉榮次郎が藩士を指導した礼として同じく各銀百五十両を、また齋藤新太郎には特に金十五両銀三百両をそれぞれ送っている。

 これを見ると藤堂藩士の中には北辰一刀流や神道無念流を学んだ者たちが相当いた筈であるが、今やその人名は全く分からない。


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