藤堂高虎
藤堂高虎とその家臣
藤堂出雲家
藤堂出雲家の初代は高虎の異父弟・高清です。
高清の母は高虎の父・虎高が晩年に娶った側室・宮崎氏で、後に尾張藩に仕えた宮崎一郎右衛門の娘であるとあります。同母の弟に内匠助正高がいます。
高清は高虎と29歳も離れていますので、創業の戦にはほとんど関与していません。
慶長5年、関が原の戦いの際、西軍側から板島城に高清を人質に出せとの使者が板島に来ました。高虎が不在ということもあり、板島城内は要求に応じるか否かで議論になりましたが、高清はこれを聞いて驚き、城を抜け出て服部大夫康次の屋敷を訪ねます。
康次は高虎の古い友人、かつ家臣でしたが、この当時、高虎と仲違いして屋敷に引き込んでいる処でした。高清は幼少の頃から康次に接し頼りにしていたのでしょう、この老家臣に事情を説明し、助言を求めました。康次は高清が自分を頼ってきたことを甚だ喜び、
「城中の腰抜けどもめ!全てこの老骨にお任せなされ」
と答えた後、城中に乗り込んで
「断固拒否すべし」
と、留守居役を一喝しました。これで高清は難を免れたといいます。
十八歳のとき、板島城内で元服、高虎の旧称を与えられ、与右衛門を名乗ります。高清の妻は、どういう所縁によるものか、仙石秀久の娘でした。高虎も秀久も豊臣大名ではありますが、早くから徳川家に接近しその信頼を得ていたので、案外両者は親しかったのかも知れません。
慶長19年、大坂冬の陣に初陣し、右中軍を任されて十六騎の侍組、雑兵併せて300人程を指揮します。翌元和元年の夏の陣には、高虎の意向により名張城代を命じられ、留守を任されますが、高清としてはなんとしてもこの戦に参加したかったのでしょう。高虎の命令に反し、勝手に留守居を奉行に委任して与力と家士数名を連れて大坂の戦場に行き高虎に参陣を請願します。
当然のことながら高虎は激怒してこれを許さず、高清は後から同様に留守居を放置して戦場に来た弟・正高と共に陣外に放逐されます。それでも高清は帰国せず、近くに野営することにし、5月6日、7日の戦闘に参加します。なんとか戦功を挙げて高虎に認めて貰おうと思ったのかもしれません。
しかし高虎がそんな甘い男であるはずもなく、高清は帰国後、命令違反を問われて知行・与力・家士全てを没収され、伊勢国三ヶ野村に蟄居を命じられました。
元和5年、復職を許されて禄七千石、上野城代を命じられます。渡邊勘兵衛の退去後、伊賀の国政は藤堂式部家信と梅原勝右衛門武政が担っていましたが、家信は大坂陣における戦傷の後遺症が重く、武政は既に老境に差し掛かっていました。高虎は、この重職を最も近い親族である高清を抜擢して委任することにしたのです。
命令違反を犯したとはいえ、大坂夏の陣の首帳によると高清の一隊は多数の敵を討ち取っており、この手腕を買ったのかも知れません。以後、寛永17年8月に死去するまで、高清は上野城代職を全うしました。
高清の死去時、不幸にして長男・高秀は半年前に死去しており、次男・高英は年若かったため、重職である伊賀上野城代は、百戦錬磨の藤堂采女元則が指名されました。高英は伊賀附より津附に転じて後に士大将となります。
津藩主は、高虎の男系子孫としては5代・高敏を以って絶えたため、高清の曾孫に当たる高治が養子となって6代藩主を継ぎ、その後の系統は高清の男系子孫が継いでいます。以後、藤堂出雲家は藩主に最も近い一族として発展します。
藤堂出雲家は優秀な文人を輩出したことでも知られ、藩の歴史をまとめた大書として著名な「宗国史」は、出雲家6代の高文が編修し、同9代の高芬が校訂したとされています。
藤堂越後守
良隆────────┐
┌─────────┘
│源助
├虎高────────────────────────┐
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│ 勝兵衛、将監。実は多賀豊後守高忠次男 │
├良直 │
│ │
│ 新助。実は多賀豊後守高忠弟・良氏の子 │
├良政 │
├女子 村瀬伊豆室 │
├女子 箕浦作兵衛忠秀室 │
├女子 藤堂新助良政室 │
├女子 藤堂将監良直室 │
├女子 匹田勘左衛門常時室 │
└女子 丸毛兵庫助室 │
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┌──────────────────────────┘
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├女子 鈴木弥右衛門室 藤堂仁右衛門高刑の母
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├高則 永禄十二年勢州大河内にて戦死
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├高虎
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├女子 山岡長門直則室 後、渡辺長兵衛守室
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| 初代 与右衛門、出雲 室は仙石越前守秀久娘
| 後室は勝治右京進正次の娘
├高清──────────────────────────┐
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| 徳、内匠助 │
├正高 │
| │
└女子 藤堂与三良連室 後、藤堂仁右衛門(二代)高経の室 │
│
┌────────────────────────────┘
| 大九郎
├高秀
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├女子 藤堂監物信直室
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| 2代 小太夫、出雲。室は藤堂兵左衛門玄綱の娘
├高英──────────────────────────┐
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| 次郎五郎 |
├高嚴 |
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| 助五郎、七郎左衛門。藤堂彦兵衛光利養子 |
└高壽 |
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┌────────────────────────────┘
| 3代 小太夫、八郎左衛門、縫殿、舎人、出雲
| 室は藤堂主計良重の娘
├高明──────────────────────────┐
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| 利兵衛 |
├高利 |
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| 左門、藤堂半蔵高貞養子 |
├高稠 |
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| 七十郎 |
├高尚 |
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├女 藤堂内蔵丞信就室 |
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├女 藤堂式部家明室 |
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├女 藤堂勘左衛門室 再嫁山科利庵室 |
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| 惣十郎、半蔵 藤堂内匠高充養子 |
└高稠 |
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┌────────────────────────────┘
| 小太夫、舎人
├高任
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| 4代 八之助、善兵衛、出雲
| 室は梅原勝右衛門武厚の娘、後室は武田氏
├高武
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| 与三之助、喜左衛門。須知善左衛門元一養子
| 後、藤堂姓を賜る。
├元宴
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| 小次郎、幸之進、大膳、大膳亮、大学頭
| 享保8年、久居三代藩主・高陳の養子となり四代久居藩主となる。
| 同13年、津五代藩主・高敏の跡を継ぎ六代藩主となる。
└高治