藤堂高虎
藤堂高虎とその家臣
藤堂新七郎家
藤堂新七郎家初代の良勝は高虎の従兄弟にあたります。
高虎の祖父にあたる良隆は男子がなかったので、複数の養子を取っています。内、一人が多賀豊後守高忠の弟である良氏で、良隆の婿養子となりました。しかしこの良氏は永禄12年(1569年)8月、高虎の兄・高則と共に大河内城攻撃戦で戦死してしまいます。残された幼少の良勝は高虎の父・虎高に養育され成長後、高虎の無二の臣として大活躍しました。高虎に随身して後は、凡そ高虎が係った大規模な戦闘には全て従軍し、その度に戦功を挙げています。文字通り股肱の臣で高虎の信頼も絶大でした。元和元年5月6日、大坂夏の陣で奮闘の末戦死し、帰国後、高虎は良勝の闘いぶりを遺児・良精に伝えましたが、途中から声を上げて泣き崩れ、周囲の家臣も顔を上げられなかったといいます。
藤堂越後守
良隆────────┐
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│源助
├虎高─────高虎
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│ 勝兵衛、将監。実は多賀豊後守高忠次男
├良直
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│ 新助。実は多賀豊後守高忠弟・良氏の子
├良政────────────────────────┐
├女子 村瀬伊豆室 │
├女子 箕浦作兵衛忠秀室 │
├女子 藤堂新助良政室 │
├女子 藤堂将監良直室 │
├女子 匹田勘左衛門常時室 │
└女子 丸毛兵庫助室 │
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│ 初代 新七郎 室は宇都宮石見守宣綱娘
├良勝───────┐
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├女子 菊川源太郎政保室
├女子 田中内蔵丞重久室
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│ 2代 新七郎 室は藤堂仁右衛門高刑娘
├良精────────────────────────┐
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├女子 石田清兵衛武重室 │
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│ 主計、新七郎 │
├良忠 │
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│ 与吉 藤堂与吉家初代 室は桑名弥次兵衛一久娘 │
├良安 │
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├女子 渡辺将監重室 │
├勝舜 興福寺檜皮院住持 │
├女子 野依清右衛門正時室 │
├女子 友田左近右衛門吉重室 │
└女子 梅原勝右衛門武明室 │
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├女子 湯浅右近直卿室
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│ 主計 実は良勝次男 室は藤堂采女元住娘
├良忠
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│ 五郎左衛門
├良重
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│ 3代 新之助、新七郎 実は良忠の長男 室は藤堂長門元輝娘
└良長
慶長18年(1613年)、高虎は家康より改易された富田信高の所領・伊予国宇和島10万石余を委託されました。この時、高虎は自らの名代として良勝を派遣しますが、これは良勝の妻が、伊予国下木城主・宇都宮石見守宣綱の娘であったことと関係があるかもしれません。
宇都宮左近大輔 大洲城主
清綱────────┐
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│ 遠江守 大洲城主
├豊綱
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│ 笠間蔵人 笠間城主
├正綱
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│ 彦左衛門 萩森城主
├房綱
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│ 吉之丞、治部大輔 白木城主
└乗綱────────────────────────┐
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│ 萩森又兵衛 室は佐伯弾正少弼惟真の娘
├重綱
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│ 石見守 下木城主
└宣綱────────────────────────┐
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└女子 藤堂新七郎良勝室