藤堂高虎
藤堂高虎とその家臣
藤堂宮内家
藤堂宮内家は、高虎の養子・高吉を初代とする。代々名張に居館を構え、1万5千石の藩内領主であった。
本能寺の変後、秀吉は丹羽長秀を自陣営側に引き入れるため、長秀の子である仙丸(後の高吉)を異父弟・秀長の養子に貰い受けた。その後、豊臣家の地盤が固まると、今度は甥・秀保を秀長の嫡子とすべく、仙丸の廃嫡を命じた。その際に、秀長の重臣であった高虎が、実子のないことを理由に、仙丸をぜひ養子にと申し出、藤堂一門に列することになった。
ところが、高虎の実子・高次が生まれると、高吉は高虎の後継者から外されてしまい、別格家臣の扱いとなる。
五郎左衛門、越前守
長秀 ───────────────────────────────────┐
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│ 正四位宰相 五郎左衛門 加賀守
├長重
│ 濃州岐阜生まれ。童名・鍋丸。信長、秀吉、家康、秀忠、家光に歴仕。
│ 陸奥国白河藩初代藩主。寛永十四年三月四日、死去。六十七歲。
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├長正 備中守 秀吉に仕えて五万石、越前藤波城主。
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│ 従五位下 宮内少輔 (藤堂宮内家初代)
├高吉 ──────────────────────────────────┐
│ 江州佐和山生まれ。母は杉若越後守の娘。童名・仙丸 四歳の時、秀吉の │
│ 指示により秀長の養子となる。 │
│ 其後、故あって藤堂和泉守高虎の望みにより、十歳の時、その養子となる。 │
│ 寛文十年七月十八日、死去。九十二歳。徳蓮院殿徳翁寿栄大居士 │
│ 室は溝口伯耆守宣勝の娘。後に離別。後室は正室の侍女。二代目・長正の母。 │
│ 寬文三年九月二十一日、死去。慶法院殿照誉月誓妙香大姉。 │
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├直政 越後守 蜂屋出羽守の養嗣となったが、早世 │
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├長俊 長門守 秀忠に仕える。病死。 │
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├長紹 左近 慶長五年、長重と前田利長の和睦の際、加賀金沢に赴き室となる。 │
│ 後に秀忠に仕え、子孫も旗本となった。 │
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├女 亀 赤田隼人正室 │
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├女 粟屋越中守室 │
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├女 青山修理亮宗勝室 │
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├女 稲葉彦六忠通室 │
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└女 古田大膳太夫室 │
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├女 世見也 藤堂源助直広室
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├女 奈部 生駒河内守正幸室
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├女 末津 藤堂勘解由氏紹室
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│ 藤堂宮内、兵部 (藤堂宮内家二代)
├長正 ──────────────────────────────────┐
│ 初めの諱は長廣、長治。童名・武藏。豫州今治生まれ。寬文十年九月、家督。 │
│ 遺領二万石の内、三千石は長直、千五百石は長則、五百石は長之下へ分知し、 │
│ 一万五千石。天和二年八月二十日、死去。清涼院殿金翁長天大居士。 │
│ 室は生駒讚岐守正俊の娘。慶安四年五月一日、死去。月宮院珪玉妙天大姉。 │
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│ 藤堂縫殿助 (藤堂隼人家初代) │
├長直 │
│ 延宝八庚申年閏八月廿七日、死去。常寂院殿照心居士。 │
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├女 嘉久 藤堂石見惟貞室 │
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│ 左門、織部。後改めて丹羽如水。 (藤堂主計(丹下)家初代) │
├長之 │
│ 寛文十三癸丑七月廿二日、死去。慈慶院殿妙水日幸居士。 │
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├女 寸天 渡部内膳室 │
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├女 久仁 長谷川五兵衛室 │
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├長俊 主馬之助、十右衛門。後に立ち退く。改めて萩玄庵。 │
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├女 伊奴 隅屋惣左衛門室 │
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├女 地也宇 有馬涼竹室 │
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├女 称井 小澤宇右衛門正言室 高吉家臣三代目 │
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│ 九兵衛 (藤堂九兵衛家初代) │
└長則 │
延宝八庚甲年八月二十日、死去。徳正院殿機外功全大居士。 │
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├女 美也 藤堂勘解由室
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│ 九八郎、右近、宮内 (藤堂宮内家三代)
├長守
│ 正保四年四月十八日、名張にて出生。天和二年十二月、所領一万五千石を継承。
│ 元禄十六年四月三日、死去。五十七歳 惠明院殿観月儀天大居士。
│ 室は織田山城守長頼の娘。元禄十年二月五日、死去。空心院殿実相妙雲大姉。
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├女 伊志 渡部金六室
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├女 與志 藤堂隼人長好室
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├女 豊 本阿弥光常室 離緣
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│ 兵部、靭負 (藤堂靭負家初代)
├長宥
│ 諱は長安とも。童名菊千代。寛文五年生まれ。三代藩主・藤堂高久より三十人
│ 扶持を与えられる。元禄十二年、百人扶持を加えられ、元禄十六年、四代藩主
│ ・藤堂高睦より新知千五百石を給された。享保八年十二月二十七日、死去。
│ 長栄院殿長翁天宥大居士
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│ 岩之助、修理、九兵衛
├長定
│ 藤堂九兵衛長則の養子となり、二代・九兵衛。宝永四年十一月二十三日、死去。
│ 心了院殿忠参宗孝大居士 室は藤堂半三郎衛門の娘
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└女 乙見
(分家)
藤堂宮内家は、二代・長正の襲封時に、弟三人に分知を命じられ、弟達はいずれも津藩に仕えたため、五千石を削られた形になった。弟達は、藤堂隼人家、藤堂主計(丹下)家、藤堂九兵衛家を立て、宮内家三代の長守の弟・長宥が三代藩主・高久に取り立てられて藤堂靭負家をそれぞれ立てた。
その他にも宮内家の家臣として、宮内家九代・長徳の庶兄・長誠が別家を立て、その子の長養は丹羽千剣を称したが、後に藤堂姓に復し、また諱も吉穆と改めた。