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藤堂高虎
藤堂高虎とその家臣
平塚家
何かの軍記で「平塚因幡守為広の子孫が藤堂家に仕えた」とあり記憶の隅に残っていたのだが、最近ご教示頂いた系図で分かった。津藩士の平塚家としては平塚甚左衛門家があるが、この家は三代藩主・高久の代に累進しているので関係ないものと思っていたが、高虎に仕えた時は平塚姓を憚って西村姓を称していたとのこと。
享保末頃には「鉄砲頭 五百石 平塚甚左衛門」とある。
平塚三郎号無心
某 ────────┐
┌─────────┘
│ 平塚平九郎、因幡守
├為広────────────────────────┐
│ 仕秀吉公 関が原にて討死 │
│ │
│ 越中守、久賀 │
└為景 │
仕紀州 寛永四年十二月没 │
│
┌──────────────────────────┘
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| 五郎兵衛 四郎左衛門
├某─────────某
| 仕紀州 此人にて家断絶
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| 熊之助、金左衛門
├某
| 仕紀州三百石給
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| 勘兵衛
├重近
| 叔父久賀養子 仕紀州 七百石
| 延宝七年十月没
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| 西村久左衛門 平塚長三郎、刑部左衛門、甚左衛門
├元広────────直元
| 元和五年召出
| 平塚唱憚西村と号す
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└為直
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