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高虎の息子?娘?

三重県史掲載、旧藤堂家所蔵の「藤堂家譜」では、高虎の実子と義子は以下のとおりであるが、藩内外の史料を見ると、異同がある。


【実子 母は松寿院(長氏) 】

高次 二代藩主

高重  寛永八年二十六歳で死去。子孫なし。

女子 蒲生下野守忠郷室 後、一身田門主尭朝室

女子 家臣 藤堂作兵衛忠季室


【義子 一男六女】

高吉 丹羽長秀三男 藤堂宮内少輔 名張藤堂宮内家祖

女子 生駒讃岐守正俊室 実は氏家源左衛門娘(松寿院の姪)

女子 藤堂仁右衛門高刑室 実は松永伊勢守の娘

女子 岡部美濃守佳賢室 実は桑山伊賀守晴貞(元晴)の娘(松寿院の姪)

女子 横濱一庵法印室 実は長 越前守高連の娘

女子 小堀遠江守政一室 実は藤堂玄蕃頭良政の娘

女子 半井右衛門佐利親室 実は長 越前守高連の娘


内、史料に依ってまちまちなのは、半井利親の妻となった女性で、「宗国史」ではやや疑問を呈しており、「公室年譜略」掲載の系図にも記載がない。松寿院の妹とあるが、松寿院の兄で、高虎の家臣となった長 監物連房の系図には、長 越前守高連の孫で即ち松寿院の姉の娘とある。

 もっとも半井家の先祖書を見ると、利親の妻は高虎の娘と明記してあり、嫡子・成親の妻は横濱民部少輔正勝(後剃髪して良慶一庵法印)の娘となっている。なお、横濱一庵と横濱民部少輔は別人で、藤堂家側の記録では、成親の妻は、一庵の娘となっていて、この辺も異同が見られて良く分からない。「藤堂家譜」は明治になってから作られたと思われるから、当時の史料を色々参照して追加したのであろう。


 藩内の記録に拠ると、高虎の庶子に、石田三郎左衛門武清、渡辺将監重がおり、共に母は高虎の侍女で、懐胎の後、重臣である石田清兵衛武長、藤堂内膳宗の妻として下賜されている。武清と重は、二人とも千石取の高禄家臣となっていて、明治維新まで続いた。


 また藩外の史料で「高虎の娘婿」とされている人物に伊丹屋紹無がいる。この人は伊丹城主・伊丹大和守親興の従兄弟といわれ、後に堺の商人となり、千利休に茶を学んだ人物であるが、藤堂家の記録には全く出てこない。

 では伊丹氏が藤堂家と無関係かというと、そうでもない様で、慶安元年に藤堂家に召し抱えられた伊丹勘左衛門直重がおり、この人は高虎の弟・正高の孫婿に当たり、三百俵で召し出されて後、五百石を給されている。直重の義兄は、横濱勘六とあるから、横濱家とも縁戚である。

 正確な処を知りたいが、これらの家々の関係性は、藤堂監物家や、横濱家、伊丹家の史料が見出されないと判明しないであろう。


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