神田家(高田氏)
元、伊予国来島城主・来島右衛門一康親の家臣。康親が慶長五年、関ケ原戦で西軍に属して所領没収となった後、高虎に召し抱えられた家臣が複数おり、神田氏もその一つである。
豊臣秀長と藤堂高虎 大光院
大光院の書付によれば、高虎は大徳寺内への移設後、何度も秀長の菩提を弔うため、同院に足を運ぶのみならず、設備の修復や年忌法要に意を尽くし、秀長の死後35年経った後も同院を訪れて、その墓前に額突いているのである。
堀家 堀伊織
堀伊織信家を初代とする。信家は、秀政に従って戦功を重ね、その妹婿ともなった。慶長十五年、堀家は家中騒動によって改易となったため、高虎に招かれ千石を与えられた
内海家 内海流鍵槍術
津藩では有名な内海流鍵槍術を以て鳴る家である。近江国の出身で古屋喜左衛門の子である重次を初代とする。
戸波又兵衛親清
戸波又兵衛親清を初代とする。親清は後に二代藩主・高次の命で、与三兵衛と改めた。 戸波氏は長宗我部一族で、長宗我部国親の弟・国康の子である親武が、長宗我部元親から土佐国戸波城を与えられ戸波右兵衛と称したのを祖とする。 その子である親清は、慶長三年の朝鮮役で初陣、慶長五年の関ケ...
藤堂家 染井屋敷の石像
江戸時代、現在の駒込4~5丁目には、津藩・藤堂家の下屋敷があった。 東京に住んでいながら現地に行ったことがないので、その内、見に行ってこようかと考えていたのだが、なかなか思うに任せずようやく今回、その下屋敷に設置してあった石像を今も安置する乗蓮寺に行ってきた。...